優緋の部屋

日々の出来事、想うこと、信心について、二次小説、短歌などあれこれ

悪意がなくても視線は凶器になる

「見ない」という優しさ
トゥレット症  

       映画ライタームビむび太

        Kome STA! より抜粋

 

トゥレット症とは、

自分の意思に反して

突然声が出てしまったり、

体が動いてしまう病気

治療法は確立されていない。

 

患者の数は全国で、1000人あたり3〜8名。

その症状から、

外に出ず閉じこもっている人が多い

 

同じ症状で悩む方々が映画館に集まって、

『僕と時々もう1人の僕 〜トゥレット症と生きる〜』

(CBC・TBS系YouTubeにもアップされている)

というドキュメンタリーを鑑賞

(映画館は、発声OKというルールで貸切)

 

何も知らない他のお客さんの鑑賞の妨げになるから、彼らは映画館にさえ行けない

 

かつてトゥレット症は、

その症状から「悪魔の病気」と呼ばれていた

 

トゥレット症の玲音さんは、

理解のない視線や偏見に悩まされている

街で遭遇した人に、

悪意あるモノマネをされたり、

悪口を言われることがある

 

映画『羊たちの沈黙』の演出を思い出す

 

羊たちの沈黙

FBIアカデミーの優秀な訓練生クラリス

連続誘拐殺人事件の捜査スタッフに組み込まれ、ある日、連続殺人鬼として収監されているレクター博士と面会する。

彼は、天才的な精神科医でありながら、

自らの患者を次々と死に追いやった恐ろしい男だった。

レクターはクラリスに興味を示し、捜査の手がかりを与え始める。

ふたりが次第に心を通わせていく一方、

新たな誘拐事件が、発生。

クラリスは犯人逮捕のためレクターのアドバイスを頼りに捜査を開始する……。

(1991年/米/ジョナサン・デミ監督)

 

羊たちの沈黙』は

連続殺人鬼を追うFBI研修生のクラリス

事件解決に協力するサイコキラー

ハンニバル・レクター博士との

特殊なバディ・ムービー

サスペンス映画の金字塔

 

「男性が女性に向ける"視線"」

についての物語でもある。

 

クラリスはその美しい見た目と

FBIという屈強な男性社会の中で

紅一点であることが相まって、

周りの男性からの視線を集める。

 

クラリスは、FBIの中でも外でも

男性から執拗に「見られている」ことが

強調される。

 

その視線を彼女はいつも警戒をしており、

緊張した顔が和らぐことはない。

 

見ている観客も「男性からの視線」に

徐々に不快感を募らせることになる。

 

この一見、映画の本筋とは関係ないように思える演出が、クライマックスで真犯人と対峙した時にその伏線が回収される。

 

たった1人で犯人の自宅へと押し入ったクラリス

犯人は部屋のブレーカーを落とし真っ暗な中、暗視ゴーグルを使い彼女の背後へ忍び寄る。

 

映画の画面は犯人の視点に切り替わり、

暗闇の中で震えながら銃を構えて動揺する

クラリスが映し出される。

 

犯人はいつでも触れることのできる近距離でただただクラリスをじっと見つめている

不気味なシーンが続く。

 

暗闇という不利な状態で震える女性と

それをひたすら見つめる犯人の視線。

それまで何気なく描かれてきたクラリス

男性から一方的に「見られる」不快感。

 

視線には"加害性"が含まれていたことが痛感させられる見事な演出。

 

「見る」という行為の加害性
 

見ているこちら側に悪意がなくても 

「見る」という行為は、加害性を含んでしまうことがある。

 

電車内で、身体的にハンディキャップのある方、泣いてる赤ん坊を抱えるお母さんに

冷たい視線を送ってしまうことがある。

 

ついついいら立ちで、ただ「見て」しまう

 

トゥレット症の玲音さんのメッセージ

「やさしく無視をしてくださいませんか。

くしゃみのように」

 

トゥレット症という病気の存在を認識し

理解すること

さまざまな人と出会うこの社会

自分と違った人間と出会った時

視線という〝凶器〟を向けるのではなく、今、自分が何をすることが最善なのか

主体的に考えて、行動することが

必要なのかもしれない。

 

 🍀🍀🍀

 

私が今はまっている『いつかの君に』も

“見る”ことが結構重要なポイントになってる

と、この記事⬆を読んで思った。

 

犯人のチャニョンは、昆虫採集が趣味。

“美しい物は、美しい時にそのまま標本にして自分の物にする”事が良いと思っている。

相手が人間でさえも。

 

ミンジュに興味を持ったチャニョンは、

一番美しい時のミンジュを自分の物にしたいと思うようになる。

 

だが、ジュニには興味がなくてミンジュの中にジュニがいるかどうか、ミンジュに戻っていないか常に“見て”いる。

 

怖いな~!

 

同じ顔なのに、ハキハキして元気なジュニには関心がなく、おどおどして内気なミンジュ

を手に入れたいって、狂っとるな!

 

同じ視線も、“凶器”にもなれば“愛”にもなる。

“切ない”想いを込める眼差しもあれば、

“愛しい”という気持ちも込められる。

“慈愛”の眼差しは、傷さえ癒すだろう。

 

自分と違う人を受け入れ、慈愛の眼差しを向けられる豊かな境涯になりたい。