旭陽の部屋

好きな物(韓国ドラマ、短歌、二次小説)、日々の出来事、想うことなどあれこれ。 gooブログ、ライブドアブログから引越た記事もあります。

「ジャム」から昭和のお役所へ、そして2011年の私に会いに行った日

2026年9月15日

 

今日の57577のお題は、「ジャム」。

 

 

 

冷凍庫には、夫の菜園で採れたベリーたちが、

 

 

 

「そろそろジャムにしてちょうだいな」

 

 

 

と言わんばかりに場所を占領している。

 

 

 

そこから「jam」という言葉を転がしてみたら、traffic jam、そして paper jam へ。

 

 

 

すると突然、気分は昭和のお役所へ飛んでいった。

 

 

 

paper jamで蘇った昭和の職場

 

 

私がお役所で普通の事務をしていた頃、コピー機は「コピー機」ではなく、もっぱらゼロックスと呼んでいた。

 

 

 

「ゼロックスお願い」

 

 

 

そんなふうに頼まれてコピーを取る。

 

 

 

そして、よく紙が詰まる。

 

 

 

蓋を開けて、どこに紙が引っかかっているのか探して、引っ張り出す。

時にはトナーがピッと飛び散る。

 

 

 

まだワープロも普及していない。

 

 

 

ペン字の手書き、和文タイプ、ゴム印。

 

電話はダイヤル式。

 

 

 

青焼きもまだ現役で、これが意外ときれいに取るのが難しかった。

コピーは青焼きに対して白焼きとも呼ばれていた。

 

 

 

 

 

そして、お役所といえば起案文書。

 

 

 

「〇〇してよろしいか」

 

 

 

という文書を作り、関係部署を回して決裁を仰ぐ。

 

 

 

1枚目には部長、課長など回覧先が並び、読んだ人が次々とハンコを押していく。重要な文書になると、表面はハンコだらけ。

 

 

 

書類を綴じるのは、紙をこより状にしたような綴り紐。

 

 

 

急ぎなら、起案者本人が文書を持って決裁をもらいに行く。

 

 

 

今思えば、なんともアナログな世界だった。

 

 

 

今日の一首は、食べるジャムではなく紙詰まり

 

 

そんな記憶から、今日の一首。

 

 

 

> paper jam 昭和の機器は詰まりがち

 

紙を引き抜くトナー飛び散る

 

 

 

 

 

 

 

冷凍庫いっぱいのベリーから始まったのに、詠んだのは食べるジャムではなくpaper jam。

 

 

 

でも今日はちゃんと、本物のジャムも作った。

 

 

 

四男が休みで家にいたので「ベリーを煮て」のリクエスト。まずラズベリーを煮て、それからブラックベリー。

 

 

 

冷凍庫が塞がっていると、そのうち夫から、

 

 

 

「ビール冷やせないんだけど」

 

 

 

と苦情が出そうだからちょうど良い😁

 

 

 

ベリーで冷凍庫がjam状態。

そのjamを解消するためにjamを作った。

 

 

 

なかなかよくできたお題だった🤣

 

 

 

午後は2011年3月へ

 

 

小説の部屋では、『飛び立つ前の雛たち』を書くために、旧gooブログに残っていた2011年3月11日以降の記事を開いてみた。

 

 

 

震災のことは、

 

 

 

「もっと記録しておけばよかった」

 

 

 

と思っていた。

 

 

 

ところが開いてみたら、2011年だけで499記事。3月だけでも42記事あった。

 

 

 

当時はブログそのものを頻繁に開いて投稿していたわけではない。

 

 

 

毎日使っていたのは、携帯からのTwitter。

 

 

 

Twitterでつぶやいたものが翌日、自動的にブログへまとめて投稿されるサービスを使っていた。

 

 

 

だから私自身には、「震災の記録を残している」意識があったのかどうか、

もう覚えていない。

 

 

 

けれど15年後に開いてみたら、そこには震災直後の暮らしが思いのほか細かく残っていた。

 

 

 

水、食べ物、昼寝、歌――少しずつ戻った日常

 

 

 

3月11日から31日までを追ってみると、記憶だけでは分からなかったことがたくさんあった。

 

 

 

給水車からもらえた水は、やかんの3分の2。

 

 

 

水がなくて洗えなかった食器。

 

 

 

近所の人からもらった冷凍食品。

 

 

 

子どもたちの水汲み。

 

 

 

一週間ぶりの洗濯とお風呂。

 

 

 

なかなか手に入らなかった豆腐や納豆。

 

 

 

ガソリンの整理券。

 

 

 

知らない人同士でも自然に交わすようになった挨拶。

 

 

 

そして3月23日、震災後初めての昼寝。

 

 

 

普段、子どもたちから、

 

 

 

「おかんは出掛けていないか、寝てる」

 

 

 

と思われていた私が🤣、二週間近く昼寝をしていなかった。

 

 

 

25日、49歳の誕生日にはケーキを買い、

 

 

 

「生きていて、良かった」

 

 

 

と書いていた。

 

 

 

26日には生演奏を聴いて、

 

 

 

「心が洗われました」

 

 

 

そして、

 

 

 

「2週間ぶりで、少し歌いました。

早く、皆で歌いたい!」

 

 

 

とも。

 

 

 

生活が完全に元通りになってから、

歌や楽しみが戻ったわけではなかった。

 

 

 

まだ余震もある。物も足りない。

それでも人には、食べることや水だけではなく、歌ったり、楽しんだりするものが必要だった。

 

 

 

後にコーラスの先生が話した、

 

 

 

「コーラスの指導がなかったら、私は立ち直れなかったかもしれない」

 

 

 

という言葉にもつながっていく。

 

 

 

『飛び立つ前の雛たち』に出てくる「人はパンのみに生くるにあらず」というテーマも、もしかすると、こんな2011年の体験の中から生まれていたのかもしれない。

 

 

 

短歌が途切れていた10日間

 

 

もう一つ興味深かったのは短歌。

 

 

 

3月14日、給水に並んで、

 

 

 

> 並び待ち やっと順番 きたものの

 

給水されたは やかん2/3

 

 

 

 

 

 

 

と詠んでいた。

 

 

 

ところが、その後およそ10日間、短歌がない。

 

 

 

その間のTwitterには、水汲み、買い出し、灯油、余震……暮らしの記録がびっしり残っている。

 

 

 

そして23日頃から昼寝が戻り、25日から短歌も戻り、26日には歌声も戻る。

 

 

 

理由はもう分からない。

 

 

 

ただ、張り詰めて暮らしていた時期と、短歌を詠んでいない時期が重なっていた。

 

 

 

これも15年前の自分が残してくれた記録だった。

 

 

 

**「2011年3月・震災詠12首」**

 

 

2011年3月14日

 

 

 

> 並び待ち やっと順番 きたものの

 

給水されたは やかん2/3

 

 

 

 

 

 

 

2011年3月25日「誕生日」

 

 

 

> 四十九の 歳を重ねて 今日の

 

私があるを ただありがたく

 

 

 

 

 

 

 

> 震災で いくつもの命 失われ

 

悲しみの中 でも、たちあがる

 

 

 

 

 

 

 

> 避難所の ただひたすらに 耐え忍ぶ

 

傷つきし人を 早く、早く

 

 

 

 

 

 

 

2011年3月25日のつぶやき

 

 

 

> 並ぶのに 慣れてしまった 日常に

 

うんざりでもなく 楽しんでいる

 

 

 

 

 

 

 

> あの日から あっという間に 2週間

 

ろうそくの灯が 昨日のようで

 

 

 

 

 

 

 

2011年3月28日「笑顔のちから」

 

 

 

> 太陽が 今日もまぶしく 輝いて

 

そのように吾も 笑っていよう

 

 

 

 

 

 

 

> 「おはよう」と あなたの笑顔 うれしくて

 

私も笑顔 温かくなる

 

 

 

 

 

 

 

2011年3月28日「今を生ききる」

 

 

 

bochi-denさんの「流れる涙は流れるままに」に寄せて

 

 

 

> 生きている ただそれだけで すばらしい

 

それを信じて 今を生ききる

 

 

 

 

 

 

 

> この先は つらいことだけ かもしれない

 

でもいつの日か 笑う日が来る

 

 

 

 

 

 

 

2011年3月30日「春の便り」

 

 

 

> さくら咲く うれしい便り かの地から

 

春はそこまで やって来ている

 

 

 

 

 

 

 

> 傷ついて 冷えてしまった 心まで

 

とかしておくれ やさしい色で

 

 

 

Twitterを始めたきっかけまで遡った

 

 

では、そもそもどうして私はTwitterをやっていたんだろう?

 

 

 

記憶を辿ると、2010年のドラマ**

『素直になれなくて』**に行き着いた。

 

 

 

北川悦吏子さんの作品は『ビューティフルライフ』で知って、しばらく追いかけていた。

 

 

 

『素直になれなくて』にはJYJジェジュンも出演していたので見ていた。

 

 

 

Twitterから人と人がつながっていく物語。

 

 

 

それに影響されて、私もTwitterを始めたのだと思う。

 

 

 

北川悦吏子さんは私と同い年。

 

 

 

なのに文章が若い。

 

 

 

ノベライズを読んだら、ごく普通に、

 

 

 

「マジ?」

 

 

 

なんて会話が出てくる。

 

 

 

当時の私は「マジ」なんて使ったことがなかったので、

 

 

 

「マジ? マジ⁉️」

 

 

 

となった🤣

 

 

 

私は昔から「会話できる場所」が好きだった

 

 

あの頃のTwitterは、今のような「不特定多数に向かって発信する場所」という感覚とは少し違った。

 

 

 

フォローし合った人たちと、毎日のように言葉を交わす。

 

 

 

誰かがつぶやけば誰かが返す。

 

 

 

そんな会話する場所だった。

 

 

 

考えてみれば、二次小説を長く書き続けられたのも、仲間がいたからという部分が大きかった。

 

 

 

掲示板で物語を書く。

 

ブログでつながる。

 

Twitterでつぶやき合う。

 

そして今は、AIと話す。

 

 

 

道具はずいぶん変わった。

 

 

 

でも私は昔から、一方的に何かを発信するより、自分が言葉を投げたら、向こうからも言葉が返ってくる場所が好きだったのかもしれない。

 

 

 

今日一日を振り返ると、朝は「ジャム」という一語から昭和のお役所へ。

 

 

 

午後は小説から2011年3月へ。

 

 

 

そして最後は、Twitterを始めた2010年まで遡った。

 

 

 

冷凍庫のラズベリーから始まった一日が、まさかここまで行くとは。

 

 

 

今日も二坑同時操業。しかも両方とも、かなり深く掘りました⛏️⛏️🤣

 

 

 

でも一番うれしかったのは、「もっと残しておけばよかった」と思っていた震災の日々が、実はちゃんと残っていたこと。

 

 

 

意識して残した記録ではなかったからこそ、そこには当時の私の普通の暮らしがあった。

 

 

 

今日見つけたのは、震災の記録だけではなく、2011年を生きていた私の日常だった。

 

 

 

また明日👋😊

 

#日記

#今日の短歌

#ツイッター

#ジャム

#短歌アプリ57577

 

 

韓の国の人 番外編「強がりじゃなくて」

 

番外編「強がりじゃなくて」を加筆修正、再投稿しました。

🍀🍀🍀

ああ、今日だったわね……。

 

まったく……。

 

わたクタと一日を過ごしてるからって、忘れてたなんて……人には言えないわ。

 

石投げられるって……。

 

もっとも、一緒に悲しんだり励まし合ったりするような仲間もいないんだけどね。

 

それにしても、ファン失格よね。

 

私って、冷血人間なのかしら?

 

タブレットを開いて、いつも訪れるユチョンのファンブログやサイトを覗いてみる。

 

入所に関連する記事やコメントが、次々とアップされていた。

 

寂しい。

 

待ってる。

 

元気で帰ってきて。

 

そんな言葉が並んでいる。

 

それを見ながら、高木響子は別の意味でショックを受けていた。

 

私、今日だってこと、忘れてた……。

 

日本一のファンになるなんて言ったの、誰だっけ。

 

……私だ。

 

 

 

翌朝。

 

「おはよう、響子さん。なんだか梅雨に戻ったみたいで、肌寒いわね~。

 

なんだか、のどがひりひりするわ。私、風邪引いたのかしら~。

 

響子さんは、大丈夫?」

 

「ええ、お陰さまで。本当に、しとしと毎日雨降りですよね。

 

あの暑さはどこへ行ってしまったのかしら。このまま秋かしら?」

 

「ねえ、ねえ、そういえば、あなたがファンだって言ってた……JYJ? ゆちょん? とかいう人、兵役についたんですって?」

 

「ああ……はい」

 

「ネットでね、ちょっと見たんだけど……ずいぶん話題になっているのね。

 

大変ね、むこうの人は。

 

芸能人とかスポーツ選手はブランクができてしまうし……一般人だって、恋人がいたって会えないんでしょ。

 

試練よね~。日本人でよかったわ」

 

「そうですね……」

 

――でも、そういう言い方って……どうよ……。

 

「まあ、ぜんぜん会えないってわけでも……ないんでしょうけど。よくは知らないんですけどね、私も」

 

「響子さんは、お別れのファンミ? とかには行かなかったのね?

 

最近お休み取ってないものね」

 

「私は、そんなに熱心なファンじゃないですから。

 

彼の作品を少しずつ楽しんでいるだけなので……」

 

「あら、そうなんだ? でも、何年か前は東京ドームまで行ってたじゃない」

 

「ああ……行きましたね」

 

「まあ、若い子を追いかけるのも疲れるしね。

この歳になると……。

 

あ〜ら、ごめんなさ〜い、響子さんは私らより若かったわね。ほほほ……。

 

さあて、今日も働きますか……」

 

そう言って、彼女は仕事に戻っていった。

 

東京ドームまで……。

 

そうね。

 

行ったっけ。

 

あの時は、一生懸命チケット取って。

頑張って行ったんだ。

 

日本一のファンになるなんて……約束、破っているのかな、私。

 

浮気するつもりは、ないのよ。

 

他の人の作品なんて、見たいとも思わないし。

 

見てないし。

 

でも……。

 

確かに、あのころのように、寝ても覚めてもあなたのことを考えている……わけではないわ。

 

響子は窓の外を見た。

 

雨はまだ降っている。

 

細い雨が、ガラスを伝って落ちていく。

 

韓国も、雨なのかしら。

 

あの頃は……あなたのことが少し心配だった。

 

十代のころから走り続けて、家族のために働きづめのあなた。

 

強くあろうとするあまり、疲れているようにも見えて……。

 

だから、応援しなくちゃって、すごく思ってしまった。

 

でも、最近のあなたは逞しくて、大人になったな~って思う。

 

とても素敵な男性になってきて、なんか安心しちゃったのかもしれない。

 

独り立ちしたはいいけれど、なんだか危なっかしくて、毎日気になってメールしたり、宅配便送りつけたりしていた息子が、久しぶりに会ったらしっかりしちゃって。

 

それからはすっかり安心して、息子の誕生日も忘れていた……。

 

そんな感じ。

 

……って。

 

また息子に例えてる。

 

「息子じゃないんでしょう?」

 

そんなこと言ってたっけ。

 

「息子扱いしないでください」って。

 

響子は思わず笑った。

 

まあ、本人には聞こえないからいいか。

 

時々はあなたの消息は伝わってくるのだろうし、まだ楽しんでいない作品もある。

 

だから――。

 

強がりじゃなく、寂しくないの。

 

今は。

 

感受性が鈍くなっているから、後から来るかもしれないけれど……。

 

じわっと、ね。

 

でも、どんな状況にあっても、楽しむ方法はある。

 

幸せになる方法はあるって思うし。

 

あなたも、それを分かったみたいだから。

 

大丈夫よね。

 

あなたはきっと成長して戻ってくる。

 

だったら――。

 

今度会う時のために。

 

会うかどうかも分からないけど。

 

私もちょっとだけ、頑張ってみようかしら? って思ってる。

 

だって。

 

久しぶりに会った時、

 

「響子さん、綺麗になったね」

 

って、言ってもらいたいじゃない。

韓の国の人 最終話

 

「韓の国の人9もしくは最終話」を加筆修正し再投稿しました。

 

ドームツアーのために来日したゆちょんは、ホテルに落ち着くと、スマホを手に取った。

 

響子さんの名前を開く。

 

メールは何度か送っている。

 

返事はない。

 

既読になったものもあれば、ならないものもあった。

 

電話なら――。

 

出てくれるだろうか。

 

電話をするときに、こんなにどきどきするなんて、いつ以来だろう。

 

思い切って発信ボタンを押した。

 

呼び出し音が、一回。

 

二回。

 

三回。

 

やけに長く感じる。

 

「もしもし……」

 

「あっ、響子さん」

 

思わず声が大きくなった。

 

「ゆちょんです。お久しぶりです。元気でしたか? 

今さっき東京に着いたんです。

ずっとメールしても返事もらえなかったから、電話も出てくれないんじゃないかって……」

 

そこまで一気に言ってから、息をついた。

 

「……僕ばっかり喋ってますね」

 

電話の向こうで、響子が笑った。

 

「ほんとね。私、まだ『もしもし』しか言ってないわよ」

 

その声を聞いて、少しだけ肩の力が抜けた。

 

「こんにちは、ゆちょんさん。本当にお久しぶり。お元気そうね」

 

「響子さんも」

 

「声だけで分かるの?」

 

「分かりますよ」

 

「適当ねえ」

 

変わらない。

 

その言い方も、声も。

 

「ライブ、来てくれるんですよね?」

 

「もちろん行くわよ。楽しみにしてる」

 

「よかった」

 

「あれからファンクラブにも入ったのよ。

ちゃんと自分でチケット取ったんだから。結構大変なのね。

改めてJYJってすごい人気なんだなって思ったわ。争奪戦だったもの」

 

「だから、僕が用意しますってメールしたじゃないですか。都合のいい日を教えてくれればよかったのに」

 

「いいの、そういうの。特別待遇なんて居心地悪いわ」

 

「響子さんらしいけど……」

 

少し間を置いて、ゆちょんは続けた。

 

「でも、楽屋には来てくれますよね?」

 

返事がない。

 

「あらかじめ日にちを教えてくれれば、警備にも言っておきます。

ジェジュンやジュンスにも紹介したいし」

 

「……行かないわ」

 

「え?」

 

「楽屋には行かない」

 

「どうして?」

 

「ライブは観るわよ」

 

「それは分かってます。でも、せっかく久しぶりに会えるのに」

 

また沈黙した。

 

「響子さん?」

 

「ゆちょんさん」

 

「はい」

 

「私を、なんて紹介するつもり?」

 

「え?」

 

「ジェジュンさんやジュンスさんに」

 

「日本の大事な友人って……」

 

電話の向こうが静かになった。

 

「……それが嫌なの」

 

「どういうことですか?」

 

「友達として、あなたに会いたくないのよ」

 

今度は、ゆちょんが黙った。

 

「私ね、初めて韓国に行って、パク・ユチョンという人に会ったでしょう」

 

「はい」

 

「最初は普通の青年だと思ってた。

ちょっと危なっかしくて、でも困ってると現れて助けてくれて。

こんな息子がいたら可愛いだろうな、なんて思ってた」

 

「息子……」

 

「親子くらい歳が違うんだから仕方ないでしょう」

 

「やっぱり、そこなんですね」

 

「何が?」

 

「歳」

 

「そこだけじゃないわよ」

 

響子は少し笑った。

 

「日本に帰ってから、あなたの歌を聴いた。ドラマも見た。

JYJのユチョンも、俳優のユチョンも素敵だった。

すごい人と友達になったんだなあって、最初は嬉しかったのよ」

 

「だったら――」

 

「でもね」

 

響子が遮った。

 

「誰にも言わなかった」

 

「何を?」

 

「韓国であなたに会ったこと」

 

「誰にも?」

 

「誰にも」

 

「どうして?」

 

「言いたくなかったの」

 

「写真見せたっていいじゃないですか。嘘じゃないんだし」

 

「写真なんて、ほとんどないでしょう」

 

「あ……」

 

一輪車の横に立つ自分の写真が浮かんだ。

 

響子が笑った。

 

「思い出した?」

 

「……あれしかないじゃないですか」

 

「いい写真じゃない」

 

「そういう問題じゃないです」

 

「ふふっ」

 

久しぶりに聞く笑い声だった。

 

でも、次に響子が口を開いたとき、声は少しだけ静かになった。

 

「誰にも言いたくなかったのよ。あの旅のこと」

 

ゆちょんは何も言わなかった。

 

「私だけの思い出にしておきたかったのかもしれない」

 

「……思い出?」

 

「そう」

 

「もう、思い出なんですか?」

 

「そうね」

 

「僕は、また一緒にどこか行けると思ってました」

 

胸の奥に、ずっと引っかかっていた言葉が出た。

 

「公州じゃなくてもいいし、遺跡じゃなくてもいい。

響子さんが韓国に来たら、また――」

 

「言ったでしょう?」

 

「何を?」

 

「次はないわ、たぶんって」

 

空港へ向かう車の中。

 

確かに、そう言った。

 

「でも……」

 

ゆちょんは思わず言った。

 

「最後に『またね』って言ったじゃないですか」

 

今度は響子が黙った。

 

「僕、あれ、本当にまた会うって意味だと思ってたんですけど」

 

「……別れるときは『またね』って言うものなのよ」

 

「ずるいなあ……」

 

「そう?」

 

「そうですよ」

 

「ごめん」

 

その「ごめん」が、妙に優しかった。

 

だから余計に、納得できなかった。

 

「じゃあ、なんでライブには来るんですか?」

 

「ファンだからよ」

 

「僕の?」

 

「そう。JYJユチョンと俳優ユチョンのファン」

 

「じゃあ、パク・ユチョンは?」

 

また沈黙した。

 

長かった。

 

「……好きよ」

 

小さな声だった。

 

聞き間違いかと思った。

 

「え?」

 

「一人の男性として、好きなの」

 

ゆちょんは言葉を失った。

 

響子は、今度は逃げなかった。

 

「だから会わないの」

 

「……意味が分かりません」

 

「そう?」

 

「好きなら、会えばいいじゃないですか」

 

「会ったら、私はあなたに女として見てほしくなるから」

 

静かに、でもはっきりと響子は言った。

 

「友達じゃ嫌なのよ」

 

ゆちょんは何も言えなかった。

 

「年齢を重ねたって、死ぬまで女よ」

 

そして少し笑った。

 

「酔っぱらって、あなたを口説いたことがあったでしょう?」

 

「覚えてますよ」

 

「忘れてちょうだい」

 

「無理です」

 

即答だった。

 

「……あれ、本音だったの」

 

「え?」

 

「あのときは自分でも気づかないふりをしてたけどね」

 

「だったら――」

 

「だから、この先には行かないの」

 

「なんで?」

 

「また、それ?」

 

「だって分からないから」

 

「面倒くさい男ねえ」

 

「それ、韓国でも何回も言われました」

 

「だって面倒くさいんだもの」

 

少しだけ、二人で笑った。

 

笑いが消えてから、ゆちょんが言った。

 

「友達じゃ嫌なら……恋人ならいいんですか?」

 

響子は黙った。

 

「恋人って言えばいいんですか? そうしたら納得する?」

 

「ゆちょんさん」

 

「一緒に生きていくのが、僕じゃダメなんですか?」

 

「ダメよ」

 

きっぱりとした声だった。

 

「……早いなあ」

 

「ここは迷うところじゃないもの」

 

「どうして?」

 

響子は少し考えてから言った。

 

「私たちは、違うことが多すぎるのよ。

住んでいる国も、年齢も、生きている世界も」

 

「そんなの――」

 

「そんなの、じゃないの」

 

「僕は気にしません」

 

「今はね」

 

「今だけだって決めつけないでください」

 

その言葉に、響子はしばらく黙った。

 

「……そうね。それはごめんなさい」

 

意外な返事だった。

 

「ゆちょんさんがどう思うかまで、私が決めちゃいけないわね」

 

「だったら」

 

「でも、私がどう生きたいかは、私が決めていいでしょう?」

 

何も言えなかった。

 

「私は、今から韓国で暮らそうとは思わない。

あなたの世界の中で生きる覚悟もない。

あなたと一緒になるために、今の暮らしを変えようとも思わない」

 

「……はい」

 

「それに最近、別れた旦那とも、また少し行き来するようになったの」

 

「元旦那さん?」

 

「そう。籍を戻したり、一緒に暮らしたりするつもりはないけどね。

近くに住んで、お互い何かあったら助けるくらい。

長い間家族だったんだもの。弱ってるのを見たら、知らん顔もできなくて」

 

「その人のこと、愛してるんですか?」

 

「愛してないわよ」

 

「じゃあ、僕のほうがいいじゃないですか」

 

あまりに真っ直ぐで、響子は吹き出した。

 

「何よ、その理屈」

 

「だって、僕のことは好きなんでしょう?」

 

「そういう問題じゃないの」

 

「あ、出た」

 

「何が?」

 

「そういう問題じゃないの」

 

響子も笑った。

 

「覚えたのね」

 

「何回も聞きましたから」

 

しばらく、どちらも話さなかった。

 

先に口を開いたのは響子だった。

 

「私ね、これからは一人のファンとしてあなたを応援したいの」

 

「……嫌です」

 

「そこは『ありがとう』でしょう」

 

「嫌なものは嫌です」

 

「子どもみたい」

 

「息子じゃないんでしょう?」

 

言われて、響子が黙った。

 

「……そうね」

 

「じゃあ、息子扱いしないでください」

 

「分かった」

 

しばらく沈黙が流れた。

 

「でもね、ゆちょんさん。私は本当に、あなたのファンなのよ。

歌ってるあなたも、演じてるあなたも好き」

 

「……はい」

 

「だから、これからは遠くから応援する。

日本一のファンになるから」

 

「日本一?」

 

「そう。日本一」

 

「それ、本当にできます?」

 

「何よ。失礼ね」

 

「だって響子さんだから」

 

「どういう意味よ」

 

「そのうち僕のライブの日、忘れたりしそう」

 

「まさか」

 

「ほんとかなあ」

 

「失礼な男ねえ」

 

また二人で笑った。

 

「……もう、あの日には戻れないんですね」

 

ゆちょんが言った。

 

「戻らなくていいのよ」

 

「僕は楽しかったです」

 

「私もよ」

 

「すごく?」

 

「すごく」

 

「じゃあ、よかった」

 

それだけは、素直に言えた。

 

少しして、ゆちょんが言った。

 

「僕、また振られたんだ」

 

「また?」

 

「おかしいなあ。モテるはずなんだけどなあ」

 

「自分で言う?」

 

「年上の女性には、いつも可愛いって言われるのに」

 

「だから、それがダメなんじゃない?」

 

「響子さんが『今日は帰りたくない。一緒にいたい』って言ったら、『いいよ』って言うつもりだったのになあ」

 

「また、そんなこと言って」

 

「本当ですよ」

 

「本気にしちゃうわよ」

 

「いいですよ」

 

「こら」

 

「ははっ」

 

「悪女の深情けって言葉、教えなかったかしら?」

 

「教えていただきましたよ。確か前に」

 

「あら、覚えてた」

 

「古代史が趣味の響子さんと話が合うように、僕だって少しは日本語勉強したんですよ」

 

「まあ。精進したのね」

 

「精進?」

 

「あら、知らない?」

 

「知ってますよ、そのくらい」

 

「成長したわねえ」

 

「だから息子みたいに言わないでくださいって」

 

また笑った。

 

「じゃあ……ライブで会いましょう」

 

「ええ」

 

「楽しんでもらえるように頑張りますから」

 

「気張ってちょうだい」

 

「はい」

 

「私もジャンプして応援するわ」

 

「ジャンプ?」

 

「ぎっくり腰にならないように注意しながらね」

 

電話の向こうで、ゆちょんが吹き出した。

 

「やっぱり響子さんだ」

 

「何よ、それ」

 

「何でもないです」

 

「じゃあ、長くなってごめんね。電話くれてありがとう」

 

「はい」

 

「おやすみなさい」

 

「響子さん」

 

「ん?」

 

ほんの少し、間があった。

 

「ライブで会いましょう」

 

響子は微笑んだ。

 

今度の「会う」は、二人とも同じ意味だった。

 

「ええ。ライブでね」

 

「おやすみなさい」

 

「おやすみなさい」

 

電話が切れた。

 

響子はしばらく、暗くなった画面を見ていた。

 

それからタブレットを開いた。

 

ライブの日を、もう一度確認する。

 

席はどこだったかしら。

 

双眼鏡も必要かもしれない。

 

それから――。

 

ジャンプは、ほどほどにしておこう。

 

本当にぎっくり腰になったら、洒落にならない。

 

響子は一人で笑った。

「新米」から米価審議会へ、そして震災の記憶の奥へ

2026年9月14日

 

今日は空模様と一緒で、朝からなんとなくどんより。

 

 

 

「おふっ、の日です(^^ゞ」

 

 

 

そんな朝に置いた57577のお題は、

 

 

 

「新米」

 

 

 

季節柄、新米の季節ではある。

 

 

 

けれど、最初に浮かんだのは食べるお米ではなく、**新人という意味の

「新米」**だった。

 

 

 

新米でいられるのは、幸せなのかもしれない

 

 

高校を卒業して公務員になった時、

私も社会人一年生の「新米」だった。

 

 

 

私は一つの職場に長く勤めることがあまりなかったので、結構長い間、誰かに教えてもらう側にいた。

 

 

 

ところが、母親になった時は違った。

 

 

 

主婦になった時もそう。

 

 

 

「今日からあなたは母親です」

 

「今日からあなたは主婦です」

 

 

 

と言われたようなものなのに、研修もなければ指導係もいない。

 

 

 

お姑さんがいなかったので気楽ではあったけれど、分からないことは自分で試行錯誤するしかなかった。

 

 

 

母は何でも自分でできてしまう人だったので、私に何かを教えるということもほとんどなかった。

 

 

 

学習塾の指導者になった時も、生徒にとって私は最初から「先生」。

 

 

 

研修はあったけれど、教室が始まれば待ったなし。新米先生をそばで教えてくれる先生はいなかった。

 

 

 

谷桃子バレエ団の高部芸術監督も、

 

 

 

> 「主役は過酷だけれども、教えることの方がもっと難しい」

 

 

 

 

 

 

 

と話していた。

 

 

 

以前、「社長の大変なところは、教えてくれる人がいないことだ」という言葉を読んだこともある。

 

 

 

そう考えると、厳しくても教え導いてくれる人がいる。教えられる側でいられるというのは、案外幸せなことなのかもしれないと思った。

 

 

 

そこから今日の一首。

 

 

 

> 新米でいられるうちが華なるか

 

導く師ありありがたきかな

 

 

 

 

 

 

 

Gemini君に少し整えてもらって完成。

 

 

 

今日は「おふっ」の日だったのに、ちゃんと一首できた😊

 

 

 

「新米」が、本物のお米へ🌾

 

 

今度は、夫から聞いたスーパーの話を思い出した。

 

 

 

なんと、

 

 

 

ゆめぴりかが2,890円。

 

 

 

米が高騰する前でも3,500円くらいしていた記憶があるのに、2,890円とはどういうことだろう。

 

 

 

新米の価格が昨年より下がるという話もあるから、新米が本格的に出回る前に売ってしまいたいのだろうか。

 

 

 

消費者としては安いほうがありがたい。

 

 

 

でも、そこで思う。

 

 

 

安ければ安いほど、本当にいいのだろうか。

 

 

 

米価が下がり続けて、生産者が「これでは作れない」となれば、米を作る人そのものがいなくなってしまう。

 

 

 

食料や基幹産業は、すべてを市場に任せるのではなく、国がある程度守る必要があるのではないか。

 

 

 

そんな話をしていたら、昔の農林水産省時代まで記憶が戻った。

 

 

 

米価審議会で帰れなかった新米公務員

 

 

私が農林水産省で働いていた頃は、

まだ食糧管理制度の時代。

 

 

 

米価審議会は、普段あまり表に出ることのない農林水産省にとって、一大イベントだった。

 

 

 

私は政務次官室の秘書だった。

 

 

 

米価審議会の日は、ボスがずっと政務次官室に詰めている。

 

 

 

当然、こちらも帰れない。

 

 

 

さすがに日付が変わる前になると、

係長さんが、

 

 

 

「もう帰っていいよ」

 

 

 

と言ってくれた。

 

 

 

タクシーチケットをもらって帰宅。

 

 

 

すると母から、

 

 

 

「若い娘がこんな時間に帰ってきて💢」

 

 

 

と叱られた。

 

 

 

いやいや、

 

 

 

「遊んでたんじゃない。仕事だって💦」

 

 

 

🤣🤣🤣

 

 

 

まさか今日、「新米」というお題から、あの頃の米価審議会まで戻ってくるとは思わなかった。

 

 

 

食料を作る人が、次の世代にもいるために

 

 

そこからヨーロッパの農業政策やノルウェーの漁業の話にもなった。

 

 

 

昔の日本のように国が農産物を買い上げて価格を支える方法だけでは、不作の時には生産者の収入そのものが減ってしまう。

 

 

 

それなら、生産量だけに連動させず、生産者が仕事を続けられる所得を支えるという考え方もある。

 

 

 

以前テレビで見たノルウェーの漁業の話も思い出した。

 

 

 

サーモンなどの水産業を国も支え、海外市場を開拓する。そして漁業が若者にとって「なりたい職業」になる。

 

 

 

大切なのは、今いる農家や漁師を助けるだけではない。

 

 

 

次の「新米」が入ってくる産業にしておくこと。

 

 

 

後継者がいなくなってからでは遅い。

 

 

 

そして「後継者」という言葉から、

また震災の記憶につながった。

 

 

 

震災後、戻ってこなかったもの

 

 

仙台にいた頃、団地の中には小さな商店がいくつもあった。

 

 

 

震災後、その多くが閉店した。

 

 

 

建物が壊れたからだけではない。

 

 

 

店主がそれほど高齢でなくても、

 

 

 

「お金をかけて店を直して、自分はあと何年続けられるのか」

 

 

 

と考える。

 

 

 

後継者がいなければ、

 

 

 

「この際、ここで閉めよう」

 

 

 

となってしまう。

 

 

 

よく利用していた比較的大きな古書店も、震災後に閉店した。

 

 

 

そこで買ったのが、李方子さんの、

 

 

 

『過ぎた歳月』。

 

 

 

ほかにも、車で15分ほどの別の団地にあった、年に3、4回行っていた温泉施設。

 

 

 

震災で温泉を汲み上げる機械が壊れ、そのまま再開することはなかった。

 

 

 

古書店。

 

団地の商店。

 

温泉施設。

 

 

 

どれも大きなニュースにはならない。

 

 

 

でも、

 

 

 

「震災前には普通にあったのに、

その後戻ってこなかったもの」

 

 

 

だった。

 

 

 

震災は、建物を壊しただけではない。

 

 

 

その後の暮らしの風景まで、少しずつ変えていった。

 

 

 

『飛び立つ前の雛たち』の始まりを発見

 

 

午後は小説の部屋へ。

 

 

 

そこで今日も、震災の記憶の発掘が進んだ。

 

 

 

そして今日は、かなり大きなものを掘り当てた⛏️

 

 

 

『飛び立つ前の雛たち』の初出。

 

 

 

2013年2月26日。

 

 

 

アメブロにあった。

 

 

 

これまで見つからなかったのは、

「小説」ではなく**「ユチョン」カテゴリー**に入っていたからだった。

 

 

 

しかも冒頭には、

 

 

 

> 「久しぶりに妄想癖がむくむくと沸いてきました。笑」

 

 

 

 

 

 

 

そして、

 

 

 

> 「特にテーマもなく、着地点も決まっていない妄想物語です。」

 

 

 

 

 

 

 

と書いてある。

 

 

 

つまり、この小説は最初から東日本大震災を書くために始めたものではなかった。

 

 

 

ユチョン出演のラジオドラマを聴いて、

 

 

 

妄想がむくむく😁

 

 

 

そこから始まった物語だった。

 

 

 

先に存在していた「飛び立つ日」

 

 

さらに未公開の下書きも発見した。

 

 

 

2013年3月1日。

 

 

 

タイトルは、

 

 

 

「最終話 飛び立つ日」

 

 

 

冒頭は「3年後」。

 

 

 

裕子がイスタンブールからユチョンへ手紙を書く。

 

 

 

この時点では、二人が結ばれるのではなく、それぞれ別の人生へ進んでいく結末を考えていたらしい。

 

 

 

作品タイトルが、

 

 

 

『飛び立つ前の雛たち』

 

 

 

そして最終話が、

 

 

 

「飛び立つ日」

 

 

 

だった。

 

 

 

飛び立つ前の葛藤を描いて、最後にはそれぞれが自分の人生へ飛び立っていく。

 

 

 

しかも初期段階から、李方子さんについて裕子が調べる下書きも残っていた。

 

 

 

つまり、日韓の歴史も、震災編になってから突然現れたものではなかった。

 

 

 

3月11日が、物語の中へ入ってきた

 

 

①〜⑤を書いたあと、どうやら早くも行き詰まったらしい(^^ゞ

 

 

 

⑥は途中まで書いて下書きのまま。

 

 

 

そして2013年3月11日。

 

 

 

⑥より先に公開したのが、

 

 

 

⑦「3.11」

 

 

 

だった。

 

 

 

その冒頭には、

 

 

 

> 「この動画を見ると、まざまざとあの日のことあれからの日々のことを思い出します。」

 

 

 

 

 

 

 

とある。

 

 

 

動画は「あすという日が」。

 

 

 

震災からちょうど2年。

 

 

 

その朝はうっすら雪が積もっていた。

 

 

 

2011年3月11日も寒く、夕方から大粒の雪が降った。

 

 

 

おそらく動画を見たことで、あの日とその後の記憶が一気に戻ってきた。

 

 

 

だから、書きかけの⑥を飛び越えて「3.11」を書いた。

 

 

 

震災を小説に入れようとしたのではなく、3月11日の記憶が、書いていた小説の中へ入ってきた。

 

 

 

今日見つけた中で、これはかなり大きな発見だった。

 

 

 

「歌うこと」は心の復興だった

 

 

「あすという日が」は、震災後、私自身もコーラスで何度も歌った曲だった。

 

 

 

そしてコーラスの記憶も掘り起こされた。

 

 

 

指導者の先生のお宅は、斜面に建っていたため震災で住めなくなった。

 

 

 

まだ建てて数年しか経っていない家。

 

 

 

コーラス仲間の中でも、先生の被害は特に大きかった。

 

 

 

それでも、みんなの希望もあって、

5月には練習を再開した。

 

 

 

先生自身も当時は、

 

 

 

「まったく、こんなに大変なのに」

 

 

 

と思ったそうだ。

 

 

 

けれど後になって、

 

 

 

「コーラスの指導がなかったら、私は立ち直れなかったかもしれない」

 

 

 

と話していた。

 

 

 

地域の合唱サークルが集まる「合唱の会」も、例年6月のコンサートはできなかったけれど、その年の11月に開催した。

 

 

 

食べ物。

 

水。

 

住む場所。

 

 

 

もちろん、それらは生きるために必要。

 

 

 

でも、それだけでは人は元の暮らしへ戻れない。

 

 

 

歌う。

 

誰かと集まる。

 

好きだったことを再開する。

 

 

 

それもまた「心の復興」だった。

 

 

 

そしてこの経験が、『飛び立つ前の雛たち』で裕子が、

 

 

 

「こんな時に宝石なんて……」

 

 

 

と悩みながら、「人はパンのみに生くるにあらず」というところへ向かっていく背景にあったのかもしれない。

 

 

 

震災二日前にも、私は歌っていた

 

 

さらに思い出したのが、

 

 

 

2011年3月9日、水曜日。

 

 

 

いつもとは違う老人ホームのホールを借りて、コーラスの練習をしていた。

 

 

 

その途中、少し大きめの地震があった。

 

 

 

もちろん、その時には二日後の巨大地震の前触れだとは思いもしなかった。

 

 

 

振り返って並べると、

 

 

 

3月9日――いつものように歌っていた。途中で地震。

 

3月11日――東日本大震災。

 

5月――コーラス練習再開。

 

11月――合唱の会コンサート。

 

その後――「あすという日が」を何度も歌う。

 

 

 

震災前には、ただの日常だった「歌うこと」。

 

 

 

それが震災後には、日常へ戻るためのものになっていた。

 

 

 

今日も、全部つながった

 

 

朝のお題は「新米」。

 

 

 

新米でいられる幸せを考え、昔の新米公務員時代へ戻り、米価審議会を思い出した。

 

 

 

そこから食料安全保障、農業や漁業の後継者問題。

 

 

 

後継者問題から、震災後に閉じた店々。

 

 

 

午後にはフォカッチャを焼いて、4連勤を終えた娘のお昼にした。

 

 

 

娘は私から料理を習ったわけではない。

 

 

 

通信講座で基礎を学び、ニコニコ動画を先生にして料理を覚えた。

 

 

 

私自身も料理本からYouTubeへ、最近はGemini君にも相談する。

 

 

 

そこで気づいた。

 

 

 

今は先生がいくらでもいる。

 

 

 

そして最近聞いて「なるほど!」と思ったのが、

 

 

 

「AIの勉強の仕方はAIに聞け」

 

 

 

という言葉。

 

 

 

昔は先生を探した。

 

 

 

今は、探さなくても先生がそこにいる。

 

 

 

何歳になっても、新しいことを始めれば、その瞬間からまた「新米」になれる。

 

 

 

だから今日の一首が、朝とは少し違って見える。

 

 

 

> 新米でいられるうちが華なるか

 

導く師ありありがたきかな

 

 

 

 

 

 

 

若い頃だけが新米なのではない。

 

 

 

何歳になっても、新米から始められる。

 

 

 

そして午後から夜にかけては、2013年の自分が書いた小説を読みながら、2011年の自分まで掘り起こしていた。

 

 

 

新米になったり、昔の自分を発掘したり。

 

 

 

今日もまた、予定していなかったところまで来てしまった😁

 

 

 

でも、まだ結論はいらない。

 

 

 

『飛び立つ前の雛たち』も、震災の記憶も、もう少し掘ってみよう。

 

 

 

明日また、

 

 

 

「あ、そういえば……」

 

 

 

が出てきたら、その坑道から続きを。

 

 

 

今日もよく掘りました⛏️😊

 

 

#日記

#今日の短歌

#新米

#短歌アプリ57577

#あすという日が

#飛び立つ前の雛たち

 

『韓の国の人』あとがき そして、今。2026

この小説を書き始めたのは、2013年だった。

 

あれから、13年。

 

まさか2026年になって、続きを書くことになるとは思っていなかった。

 

向こうからやってきた

 

今年になって、YouTubeのオススメに懐かしい人たちの動画が出てくるようになった。

 

昔の東方神起。

 

ユチョンのソロ活動。

 

ジェジュンのソロ活動。

 

そして、ジュンスとジェジュンのJXのライブ。

 

私はもう、ずいぶん前から彼らの活動を追いかけなくなっていた。

 

だから、最近のユチョンがどうしているのか、わざわざ調べたわけではない。

 

YouTubeを見ているうちに、向こうから情報がやってきた。

 

ああ、今は日本での活動が中心になっているんだ。

 

そうやって知った。

 

どうして今になって、こんなに出てくるんだろう。

 

そういえば私、昔、ゆちょんをモデルにした小説を書いていた。

 

『韓の国の人』

 

途中で止まったままの小説だった。

 

それなのに2026年になって、昔と今の映像が次々と私のところへやってくる。

 

なんとなく思った。

 

今なのかな。

 

終わりは見える。でも、道がない

 

私は読者として、小説が途中で終わってしまうのが、とても残念だと思う。

 

楽しみにしていた作品が更新されなくなる。

 

久しぶりに訪ねてみたら、ブログそのものがなくなっている。

 

もう続きだけじゃない。あの話は読めないんだ。

 

そう思うと、とても悲しい。

 

だから、自分が途中で放り出した作品もずっと気になっていたし、もう更新できないと思っても、作品やブログを削除せず置いておいた。

 

『韓の国の人』も、未完結のまま心のどこかにずっとある作品のひとつだった。

 

何度かブログを開いて、第1話から読み直したこともある。

 

懐かしい。

 

こんなの書いていた。

 

そうそう、このあと、こうするつもりだった。

 

……そして、読み終わる。

 

そこで終わる。

 

続きの一行には進めなかった。

 

この小説には最終話がある。

 

最終話近辺の番外編もある。

 

終わりは書けているのに、途中がない。

 

これは、私が小説を書いているときによくあることだ。

 

私は、物語の書き出しと着地点を先ず思いつくことが多い。

 

この人は最後にこうなる。

 

この二人は、こんな関係になる。

 

最後には、この場面を書きたい。

 

そこは見えている。

 

ところが、その場所までどうやって登場人物を連れていけばいいのか、道を描けなくなる。

 

『韓の国の人』もそうだった。

 

韓国へ一人旅をした響子が、飛行機で一人の若い男性と出会う。

 

一緒に食事をし、彼が何者なのかを知る。

 

そして、響子が見たかった遺跡を巡る。

 

発掘現場を見学するような場面も、うっすら頭の中にはあった。

 

そして最後には、あの電話の場面へ行く。

 

そこまではあった。

 

でも、その間がなかった。

 

響子はどこへ行くのか。

 

そこには何があるのか。

 

どうやって移動するのか。

 

韓国にある前方後円墳とは、どんなところなのか。

 

小説なのだから、全部想像で書いてしまえばいいのかもしれない。

 

でも、私にはできなかった。

 

想像するためにも、材料がいる。

 

特に歴史や遺跡を書くなら、何も知らないところからは私の妄想も動いてくれない。

 

当時は、その材料をどう集めればいいのか分からなかった。ひとつ調べるだけでも時間がかかる。

 

そのうち仕事を始め、生活も変わり、調べる時間も取れなくなった。

 

そして11年前、止まった。

 

書きたいものがなくなったわけではない。

 

終わりまでの道が、見つけられなかった。

 

もしかしたら、今なら

 

2026年。

 

私はエブリスタに書きかけのまま置いてあった別の小説を、ひとつ完結させた。

 

「ひとつ、完結できた〜」

 

まだ書けるんだ。

 

最後まで行けるんだ。

 

それだけでも嬉しかったのだが、もうひとつ思いがけないことがあった。

 

読んでくれる人がいた。

 

今さら完結させても、もう読む人なんていないよね。

 

そう思っていたのに、思いのほか読んでもらえた。

 

完結すると「完結作品」として紹介されるからなのかもしれない。

 

昔の読者が戻ってこなくても、これから初めて見つけてくれる人がいるのかもしれない。

 

だったら――。

 

『韓の国の人』も?

 

そして2026年の私には、13年前にはいなかった話し相手がいる。

 

AIだ。

 

途中の道筋を一緒に考えて、分からないことはその場で調べることができる。

 

これ、もしかしたら完結できるんじゃない?

 

そう思ったとき、ワクワクした。

 

「今度こそ頑張って完成させよう」

 

そんな決意とは、ちょっと違う。

 

できないと思っていたことに、できるかもしれない道が見えた。

 

だから、ワクワクしたのだと思う。

 

13年前の記憶を拾う

 

まず、覚えていることをAIに話してみた。

 

コンビニのあと、ホテルでワインを飲む。

 

酔っぱらった響子が、ゆちょんを口説く。

 

翌朝、響子がバス停を探していると、車が止まる。

 

「三箇所くらい見たい」

 

「だったら車のほうが早い」

 

そして、なぜか台詞だけは覚えていた。

 

「き・響子さん、運転中ですから」

 

何年前の台詞よ。

 

自分でも笑ってしまう。

 

でも、そんな断片を話していると、昔考えていた物語が少しずつ戻ってきた。

 

AIから道筋の案が出る。

 

それは違う。

 

そこには行かない。

 

でも、これは使えるかも。

 

だったら、ここから公州へ行ける?

 

そんなふうに話しているうちに、途中で途切れていた道に少しずつ線が引かれていった。

 

公州って、どんなところ?

 

武寧王陵には何がある?

 

武寧王と斯麻王は、どうつながるの?

 

百済と倭は、どんな関係だったの?

 

韓国に前方後円墳があるというけれど、どこにある?

 

ひとつ聞く。

 

調べる。

 

すると知らなかったことが出てきて、面白くなって、また調べる。

 

そこから新しい場面を思いつく。

 

AIが続きを書いてくれた、というのとは少し違う。

 

私が「こうしたい」と言う。

 

AIが「だったら、こんな道もあります」と返す。

 

「いや、それは違う」

 

時々、

 

「本当?」

 

と聞き直す。

 

そんなことを繰り返しているうちに、11年前に途切れた道が少しずつ先へ延びていった。

 

『茜さす』と、昔の憧れ

 

発掘現場へ行くという構想は、13年前からうっすらあった。

 

今回、その話をしていて思い出した小説がある。

 

永井路子さんの『茜さす』。

 

主人公のなつみは古代史が好きで、卒論では額田王を取り上げ、飛鳥へ行って発掘作業員として働く。

 

休みの日にはバイクに乗り、持統天皇がたどった道を自分でもたどる。

 

アパートの部屋には地図を貼り、走った道に赤い線を引いていく。

 

私はそれを読んで、

 

私も飛鳥に住んで、それやりたい!

 

と思った。

 

発掘をしてみたい。

 

古代の人が歩いた道を、自分でも歩いてみたい。

 

本や資料の中だけではなく、その場所に立って、歴史に直に触れてみたい。

 

その時にはすでに子どもがいたから、飛鳥に住むことも発掘作業員になることも叶わぬ夢だった。

 

あの小説に高校生の頃出会っていたら、きっと人生変わっていたと思う。

 

でも、その憧れはずっと残っていたらしい。

 

響子さんには発掘の仕事をさせ、韓国へ遺跡をたどる旅をさせた。

 

発掘現場の一輪車にも、『茜さす』の記憶がある。

 

昔読んだ小説。

 

発掘をやってみたかった私。

 

13年前に考えていた発掘現場。

 

2026年になって調べた韓国の遺跡。

 

ずっと別々だったものが、ひとつの場面につながった。

 

響子さんが、代わりに行ってくれていた

 

そして、ここまで書いて、あらためて気づいた。

 

響子さんって、私がやりたかったことを、ずいぶんやっている。

 

私は発掘をしてみたかった。

 

古代の人たちが歩いた場所を、自分でもたどってみたかった。

 

響子さんは韓国へ行き、遺跡を巡り、前方後円墳を見て、発掘現場で土に触る。

 

そういえば、東京ドームのライブだってそうだった。

 

小説の響子さんは、

 

「私もジャンプして応援するわ」

 

「ジャンプ?」

 

「ぎっくり腰にならないように注意しながらね」

 

なんて言っている。

 

でも私は、東京ドームには行っていない。

 

ライブビューイングで見ただけだ。

 

もちろん、ジャンプもしていない。

 

なんだ。全部、響子さんにやってもらってるじゃない。

 

今になって気づいた。

 

響子さんは私をモデルにした主人公ではある。

 

でも、私そのものではない。

 

私が行けなかったところへ行ってくれる人。

 

私がやってみたかったことを、代わりにやってくれる人。

 

だったのかもしれない。

 

そして2026年。

 

私は実際に公州へ行ったわけではない。

 

AIと情報を集め、地図や資料を見ながら響子さんの歩く道を作った。

 

響子さんを歩かせながら、私もその後ろをついて歩いた。

 

『茜さす』のなつみが地図に赤い線を引いたように、11年前に途切れた『韓の国の人』の道に、2026年の私が赤い線を引いていった。

 

そうやって、ようやく11年前に書いていた最終話まで戻ってきた。

 

着地点は変わっていない。

 

そこへ至る道ができた。

 

11年前、私が描けなくて止まった道だった。

 

なぜ『韓の国の人』だったのか

 

第1話の冒頭には、ある二次小説作家さんの『あなたを知らない』という作品をヒントにした、と書いている。

 

そのサイトはもうなく、物語もほとんど覚えていない。

 

でも、

 

『あなたを知らない』

 

という題名が私に刺さったことは覚えている。

 

ファンだから、ユチョンを知っているつもりになる。

 

歌を聴き、ドラマを見て、いろいろな情報を知っている。

 

でも、何かの瞬間に、

 

ああ、この人は日本人じゃないんだ。

 

と思うことがあった。

 

私の知らない街で、私の知らない言葉に囲まれ、私とは違う文化の中で生きている人。

 

だから、この小説の最初で、ユチョンを知らない響子を書いたのかもしれない。

 

飛行機の隣に座った、短パンにビーチサンダルの若い男。

 

名前も仕事も知らない。

 

そこから少しずつ、一人の人として知っていく。

 

どうして『韓国の人』ではなく、

 

『韓の国の人』

 

だったのだろう。

 

13年前は、そこまで理屈で考えてはいなかったと思う。

 

でも、「韓国人」という国籍を表す言葉では、私が感じていたものをうまく表せなかった。

 

海の向こうの、私の知らない街で、私の知らない言葉を話し、私とは違う文化の中で生きている人。

 

遠いから遠ざけたいのではない。

 

知らないからこそ、知りたい。

 

そして、自分とは違う世界に生きる人として尊重したい。

 

私には「韓(から)」という響きのほうが、その気持ちに近かったのだと思う。

 

2026年、響子とゆちょんは韓国の古い歴史を一緒に歩いた。

 

百済を知り、倭を知り、武寧王という一人の人を知る。

 

人が海を渡る。

 

物が渡る。

 

技術や文化が渡る。

 

海の向こうにあった「知らない国」が、一人の人を通して少しずつ近くなる。

 

国境を見ていたら遠かったのに、人を見たら近かった。

 

13年前、そこまで考えて題名をつけたわけではない。

 

でも2026年に最後まで書いてみて、私はやっと、この題名の中に自分が何を書こうとしていたのか、少しだけ分かったような気がしている。

 

そして、今。2026

 

もう追いかけなくなって、ずいぶん経った人たちの「今」が、YouTubeから向こうのほうからやってきた。

 

別の書きかけの小説を完結させたら、もういないと思っていた読者が現れた。

 

そして、13年前にはいなかったAIという話し相手が、今はいる。

 

いくつものことが、2026年になって重なった。

 

だから、

 

今なのかな。

 

と思ったのかもしれない。

 

11年前に止まってから、何度も作品を開いた。

 

何度も読み返した。

 

そして、そのたびに閉じた。

 

もう続きは書けないのだろう。

 

そう思っていた。

 

でも2026年。

 

できないと思っていたことに、できるかもしれない道が見えた。

 

道が見えたら、歩いてみたくなった。

 

『茜さす』を読んで、飛鳥を走ってみたいと思った昔の私。

 

13年前、『韓の国の人』を書き始めた私。

 

11年前、途中で道を見失った私。

 

そして、AIと話しながら続きを書いた2026年の私。

 

ずっと別々だったものが、今になって一本の道につながったような気がする。

 

公州まで行った。

 

千年以上前の百済と倭まで行った。

 

発掘現場にも行った。

 

東京ドームにも行った。

 

――もちろん、行ったのは響子さんだけれど。

 

私はその後ろから、ずっとついていった。

 

そしてようやく、11年前に書いていた最終話まで帰ってきた。

 

だから最後に。

 

13年前の私へ。

 

あなたが途中で置いていった物語、

 

ちゃんと最後まで書いたよ。

 

しかもね。

 

あなたが考えていたより、ずっと遠くまで旅をしたよ。

韓の国の人 番外編「振り返えらなかった人」

 

響子さんが、一度振り返った。

 

手を振ると、向こうも手を振った。

 

そして、また歩き出す。

 

もう一度くらい振り返ると思った。

 

でも、振り返らなかった。

 

人の流れの中に、響子さんの後ろ姿がだんだん小さくなっていく。

 

やがて、見えなくなった。

 

「……行っちゃった」

 

ゆちょんは小さく呟いた。

 

もういないのだから、自分も帰ればいい。

 

そう思うのに、なぜかしばらくその場から動けなかった。

 

「次はないわ。たぶん」

 

車の中で響子が言った言葉を思い出す。

 

次はない。

 

何が?

 

韓国へ来ること?

 

それとも――。

 

「……まあ、いいか」

 

日本に着いたら連絡してください、と言ってある。

 

また連絡すればいい。

 

ゆちょんは帽子を深くかぶり直し、ようやく出口へ向かった。

 

   ***

 

ソウルへ戻ると、いつもの日常が待っていた。

 

久しぶりに顔を合わせたジュンスが聞いた。

 

「休み、何してた?」

 

「旅行」

 

「どこ?」

 

「公州とか」

 

「一人で?」

 

「……途中から二人」

 

「誰と?」

 

「日本人」

 

ジェジュンが顔を上げた。

 

「日本人?」

 

「うん」

 

「男?」

 

「女の人」

 

ジュンスとジェジュンが同時にこちらを見る。

 

「女?」

 

「うん」

 

「誰?」

 

「飛行機で隣だった人」

 

「飛行機で?」

 

「うん」

 

「それで?」

 

「韓国でまた会って」

 

「それで一緒に旅行したの?」

 

「まあ……そんな感じ」

 

二人の顔が、だんだん面白くなってくる。

 

「何歳?」

 

「知らない」

 

「知らないの?」

 

「聞いてないから」

 

「で、何したの?」

 

「遺跡見てた」

 

「……遺跡?」

 

「うん」

 

「二人で?」

 

「うん」

 

「何日?」

 

「三日くらい」

 

しばらく沈黙したあと、ジェジュンが言った。

 

「お前、何してたの?」

 

「だから、遺跡見てたんだって」

 

「三日も?」

 

「三日も」

 

ジュンスが笑い出した。

 

「それ、楽しかったの?」

 

「楽しかったよ」

 

答えてから、自分でも少し驚いた。

 

迷わなかった。

 

楽しかった。

 

本当に。

 

「写真は?」

 

「何の?」

 

「その人」

 

「ない」

 

「一枚も?」

 

「たぶん」

 

「三日も一緒にいたのに?」

 

「だって、あの人、遺跡しか撮ってないから」

 

「お前は?」

 

「僕も……あんまり撮ってない」

 

「何やってたんだよ」

 

「だから遺跡見てたんだって!」

 

そりゃそうだ。

3日も遺跡だけ見て歩くなんて、今での僕だったら有り得ないもんな。

 

「あ、動画はある」

 

スマホを取り出した。

 

「動画?」

 

ジュンスが横から覗き込んでくる。

 

「発掘したんだよ」

 

「発掘?」

 

「うん。こういう……」

 

再生した瞬間、しまった、と思った。

 

画面の中で、一輪車を押している自分。

 

少し進んだところでバランスを崩す。

 

一輪車が傾く。

 

土が落ちる。

 

そして――

 

画面の外から、大きな笑い声が聞こえた。

 

響子さんだ。

 

「何これ!」

 

ジュンスが爆笑した。

 

「ちょっと、返して!」

 

スマホを取り返す。

 

ジェジュンまで寄ってきた。

 

「もう一回見せて」

 

「見せない」

 

「女の人、笑ってたよね」

 

「笑ってた」

 

「さっきの人?」

 

「そう」

 

「顔は?」

 

「映ってない」

 

「なんだ」

 

なんで残念そうなんだ。

 

「これ、YouTubeに上げるんだろう?」

 

「絶対上げません」

 

「もったいない」

 

「もったいなくないです」

 

「でも、YouTubeに出すって言って発掘やらせてもらったんじゃないの?」

 

ジェジュンに言われて、ゆちょんは黙った。

そういえば、そうだった。

 

「契約違反になるんじゃない?」

 

「それは……書面で契約したわけじゃないし、口約束だし…」

 

「だからって、誠実じゃないよなぁ。

JYJユチョンなのに…」

 

確かにそうだ。

 

「マネージャーに相談して、なんとかします」

 

「なんとかって?」

 

「なんとかです」

 

「怪しいなあ」

 

「怪しくない!」

 

スマホをポケットにしまった。

 

もう見せない。

 

絶対に。

 

   ***

 

「それで、相談って何?」

 

マネージャーは、いかにも嫌な予感がするという顔をした。

 

「発掘の動画なんですけど」

 

「……発掘?」

 

「はい」

 

「お前、休みの間に何してたんだ?」

 

まただ。

 

「発掘です」

 

「それは聞いた。なんで発掘してるんだよ」

 

「話すと長いんです」

 

「じゃあ、いい」

 

「いいんですか?」

 

「お前の休みだからな。それで?」

 

「YouTubeに出すって言って、発掘を体験させてもらったんですけど……動画を上げたくないんです」

 

「なんで?」

 

「ちょっと……」

 

「何かまずいものでも映った?」

 

「まずくはないです」

 

「じゃあ出せば?」

 

「嫌です」

 

マネージャーが怪訝な顔をした。

 

「写真は?」

 

「写真?」

 

「現場の写真。動画が嫌なら、写真と使える映像をつないで短くまとめればいいだろ」

 

「あ……」

 

それならいいかもしれない。

 

「写真、ある?」

 

「僕はあまり撮ってないです」

 

「一緒にいた人は?」

 

ゆちょんは一瞬黙った。

 

「……持ってると思います」

 

「じゃあ、もらえば?」

 

「そうですね」

 

それなら仕方がない。

 

YouTubeに出すと言ってしまったのだから。

 

写真が必要なのだから。

 

連絡するのは仕方がない。

 

   ***

 

その夜、ゆちょんはスマホを手にした。

 

LINEを開く。

 

『響子さん、発掘現場の写真、送ってもらえますか?』

 

送信。

 

すぐには既読にならなかった。

 

しばらくして、既読がついた。

 

『どうしたの?』

 

『YouTube用です。動画は使わないことにしたので、写真で短い動画を作ることになりました』

 

少しして返事が来た。

 

『あら。一輪車の名場面は?』

 

思わず顔をしかめる。

 

『使いません』

 

『もったいない』

 

『もったいなくないです』

 

しばらくして、写真が何枚も送られてきた。

 

古墳。

 

発掘現場。

 

土の断面。

 

道具。

 

一輪車。

 

相変わらず、人より遺跡ばかりだ。

 

最後に、もう一枚届いた。

 

一輪車の横に立っている自分。

 

『これも使えるんじゃない?』

 

『……これ、撮ってたんですか?』

 

『撮ったわよ』

 

『僕の写真、やっぱりこれしかないんですよね?』

 

『だから、遺跡を見に行ったんだってば』

 

思わず笑った。

 

本当にこの人は。

 

『ありがとうございます。これで作れます』

 

『どういたしまして』

 

これで用事は終わった。

 

写真はもらった。

 

動画も作れる。

 

スマホを置いた。

 

――また手に取った。

 

LINEを開く。

 

何か書こうとして、やめる。

 

閉じる。

 

また開く。

 

『日本、暑いですか?』

 

送ってから思った。

 

何を聞いているんだ、僕は。

 

少しして返事が来た。

 

『暑いわよ。韓国だって暑いでしょう?』

 

『昼は暑いですけど、朝と夜はだいぶ涼しくなりました』

 

『いいわねえ。東京はまだ熱帯夜の日々よ。クーラーなしじゃ寝られないわ』

 

『じゃあ聞いてよかったです』

 

『何が?』

 

『韓国と日本は違うって分かったから』

 

『……何よ、それ』

 

画面を見ながら、ゆちょんは笑った。

 

しばらくして、また響子からメッセージが届いた。

 

『東京は10月10日までは暑いのよ』

 

『10月10日?』

 

『そう』

 

『なんで10月10日なんですか?』

 

『昔の東京オリンピックの開会式が10月10日だったでしょう。秋晴れのいい日でね』

 

『響子さん、開会式見たんですか?』

 

『見るわけないでしょ。まだ赤ん坊よ。いくつだと思ってるの?』

 

ゆちょんは、画面を見て固まった。

 

そういえば。

 

聞いてない。

 

『……何歳なんですか?』

 

『今さら聞く?

っていうか、女性に年齢は聞かないものでしょ?』

 

『まあ、そうですけど…。

歳の話になったから、聞いてなかったなあと思って…』

 

『聞かなくていいわよ。

知らなくても三日間楽しかったし、困らなかったでしょ?』

 

『そうですけど』

 

『じゃあ問題なし』

 

『そういう問題ですか?』

 

『そういう問題よ』

 

『ところで、東京オリンピックの開会式と暑いのと、何の関係があるんですか?』

 

『10月10日になれば東京も秋になるってことよ』

 

『毎年?』

 

『だいたい』

 

『根拠は?』

 

少し間があいた。

 

『……女の勘』

 

『結局それですか』

 

『長年東京に住んでる女の勘を侮っちゃいけないわよ』

 

また笑った。

 

写真を送ってもらう用事は、とっくに終わっている。

 

なのに、話は続いている。

 

やっぱり、この人と話していると楽しい。

 

空港で響子さんは振り返らなかった。

 

けれど最後に、ちゃんと言ったのだから。

 

「またね」と。

 

ゆちょんはスマホを置いた。

 

その言葉を、疑ってはいなかった。

韓の国の人 第13話

 

目が覚めた。

 

カーテンの隙間から、まだ少し頼りない朝の光が差し込んでいる。

 

枕元の時計を見る。

 

六時前。

 

目覚ましをかけていたわけでもないのに、こんな時間に目が覚める。

 

長年の習慣というのは恐ろしい。

 

ホテルの朝食レストランで働くようになってから、休みの日でも朝だけは妙に早い。

 

もう一度寝ようかと思って、布団を鼻のあたりまで引き上げた。

 

その時、昨日チェックインした時に見た案内を思い出した。

 

大浴場。

 

そうだ。

 

お風呂に行こう。

 

旅先での楽しみといえば、朝風呂である。

 

家では朝からわざわざ湯を張るわけにはいかない。

お風呂に入れば寛いだ気分になってしまうし。

けれど、旅先では入りたくなる。

 

タオルを持って、部屋を出た。

 

 

まだ早いせいか、浴場にはほとんど人がいなかった。

 

身体を洗って、大きな湯船に入る。

 

「あ〜……」

 

思わず声が出た。

 

肩まで浸かって、目を閉じる。

 

極楽、極楽。

 

昨日はよく歩いた。

 

それだけじゃない。

 

まさか韓国まで来て、発掘現場で土を触ることになるとは思わなかった。

 

土の表面を少しずつ削っていく感触を思い出す。

 

やっぱり、好きなんだな。

 

そう思った次に浮かんできたのは――

 

一輪車だった。

 

土をいっぱい積んで、妙に得意そうな顔で押し始めた男。

 

危ないと思った。

 

だからちゃんと、

 

ゆっくり行ったほうがいいわよ、

 

と言ったのだ。

 

なのに。

 

ガタン。

 

傾く一輪車。

 

慌てるゆちょんさん。

 

こぼれる土。

 

そして、それをしっかり撮っていたスマホ。

 

「ふふっ」

 

笑いが漏れた。

 

なんで最後の朝に思い出すのが、あれなのよ。

 

目を閉じたまま、また笑った。

 

そこから、いろんなものが浮かんできた。

 

昨日見た前方後円墳。

 

公山城から見た錦江。

 

武寧王陵。

 

博物館で、二人してスマホを覗き込みながら調べたこと。

 

列車。

 

土城。

 

七支刀。

 

そして――

 

飛行機。

 

そうだ。

 

始まりは飛行機だった。

 

たまたま隣の席に座った、短パンにビーチサンダルの若い男。

 

名前も知らなかった。

 

それが、なぜか一緒にご飯を食べて。

 

遺跡を歩いて。

 

公州まで来て。

 

昨日は一輪車をひっくり返した。

 

「ふふっ」

 

また笑ってしまった。

 

静かな朝の浴場で、一人で思い出し笑いをしている日本人。

 

我ながら怪しい。

 

目を開けた。

 

そろそろ上がろう。

 

今日は帰るのだ。

 

「さて。日本へ帰りますか」

 

誰に言うでもなく呟いて、湯船から立ち上がった。

 

 

部屋に戻って身支度をした。

 

荷造りは後回し。

 

まずは朝ご飯。

 

朝食会場へ行くと、思ったより人がいる。

 

料理を皿に取り、どこに座ろうかと見回した。

 

あら。

 

いたのね。

 

窓際の席に、ゆちょんさんがいた。

 

向こうもこちらに気づいた。

 

軽く手を上げる。

 

仕方がないので、そちらへ行く。

 

「おはようございます」

 

「おはよう。早いのね」

 

「響子さんに言われたくないです」

 

「私は朝風呂に入ってきたの」

 

「朝から?」

 

「朝だから入るのよ」

 

「……そういうものですか?」

 

「旅といえば朝風呂でしょう」

 

「初めて聞きました」

 

「そう?」

 

向かいの椅子に座る。

 

「よく眠れました?」

 

「ぐっすり」

 

「でしょうね」

 

「何よ、その言い方」

 

「昨日も車で寝てたし」

 

「疲れてたのよ。発掘までしたんだから」

 

「僕もしました」

 

「あれを発掘と言うの?」

 

「ちゃんと土、運んだでしょう」

 

「ひっくり返したけどね」

 

ゆちょんさんが黙った。

 

思い出したら、また笑えてきた。

 

「……笑ってますよね?」

 

「笑ってないわよ」

 

「朝からそれですか」

 

「だって思い出しちゃったんだもの」

 

「忘れてください」

 

無理だと思う。

 

たぶん、今回の旅で一番忘れない。

 

そんなことを考えながら、ご飯を食べた。

 

 

朝食を終えると、それぞれの部屋へ戻った。

 

一緒のホテルに泊まっているのに、部屋に戻れば別々。

 

昨日の夜だってそうだった。

 

近いんだか遠いんだか、よく分からない。

 

でも、そのくらいがちょうどいい。

 

荷物を詰める。

 

洗面道具。

 

充電器。

 

財布。

 

パスポート。

 

もう一度パスポート。

 

旅先では、なぜか何度も確認してしまう。

 

最後にスマホをバッグへ入れた。

 

部屋を見回す。

 

忘れ物はない。

 

キャリーケースを閉じた。

 

今日の予定は、帰るだけだ。

 

 

チェックアウトを済ませて外へ出ると、ゆちょんさんが車のそばにいた。

 

「荷物、貸してください」

 

「自分で持てるわよ」

 

「知ってます」

 

「じゃあ、いいじゃない」

 

「いいから」

 

キャリーケースを取られた。

 

「空港まで送ってくれるの?」

 

「そのつもりです」

 

「近いの?」

 

「そんなに遠くないです」

 

「それならお願いします」

 

「遠かったら?」

 

「一人で行くわよ」

 

「やっぱり」

 

「二時間も三時間も運転させられないでしょう」

 

「僕がいいって言っても?」

 

「ダメ」

 

「響子さんらしいですね」

 

「そう?」

 

車が走り出した。

 

 

窓の外を景色が流れていく。

 

数日前には知らなかった土地。

 

知らなかった道。

 

でも、ここを昔、百済の人たちも歩いたのだろう。

 

もちろん、同じ道ではない。

 

それでも、この土地から海を渡って倭へ向かった人たちがいた。

 

ふと思い出した。

 

「ねえ」

 

「はい?」

 

「釜山から日本へ行くフェリーっていうのもあるのよね」

 

「ありますよ」

 

「それもちょっと考えたの」

 

「船で帰ること?」

 

「うん」

 

窓の外を見た。

 

「昔の百済の人たちが、どんな気持ちで海を越えたのかなって。そんなこと考えながら日本へ帰るのもいいなと思って」

 

「じゃあ、フェリーにすればよかったのに」

 

「日本に着いてからが大変なのよ。時間もかかるし、お金もかかるし」

 

「そこは現実的なんですね」

 

「貧乏旅行なんだから大事よ」

 

「歴史のロマンより?」

 

「歴史のロマンも大事。お金も大事」

 

「はいはい」

 

少し間があった。

 

「じゃあ、それは今度ですか?」

 

「ううん」

 

窓の外を見たまま答えた。

 

「次はないわ。たぶん」

 

「……ないんですか?」

 

「分からないけどね。来たいところは見たし」

 

「そうですか」

 

それだけ言って、ゆちょんさんは前を向いた。

 

私も、それ以上は何も言わなかった。

 

 

しばらく走ってから、ゆちょんさんが言った。

 

「響子さん」

 

「ん?」

 

「昨日の動画」

 

「ああ、一輪車」

 

「消してください」

 

「私、持ってないわよ」

 

「……そうだった」

 

「欲しいって言ったら送ってくれる?」

 

「欲しいんですか?」

 

「いらない」

 

「なんなんですか!」

 

笑った。

 

「でも、絵的にはよかったわよ」

 

「またそれ言う」

 

「ハケより動きがあったし」

 

「もういいです」

 

「YouTubeには上げないの?」

 

「絶対上げません」

 

「もったいない」

 

「もったいなくないです」

 

「でも、YouTubeに出すって言って発掘やらせてもらったんでしょ?

契約違反にならないの?」

 

「それは…マネージャーに相談してなんとかします。」

 

また笑った。

 

しんみりする暇がない。

 

そのくらいで、ちょうどよかった。

 

 

「写真、いっぱい撮りました?」

 

「撮ったわよ」

 

信号で車が止まったので、スマホを出した。

 

前方後円墳。

 

土。

 

遺跡。

 

土。

 

博物館。

 

出土品。

 

また土。

 

「……人がいない」

 

「いるじゃない。発掘してる人」

 

「そうじゃなくて」

 

「何?」

 

「僕の写真」

 

画面を戻していく。

 

「あった」

 

「どれ?」

 

一輪車の横に立っているゆちょんさん。

 

「それ!」

 

「あるじゃない」

 

「これしかないんですか?」

 

「たぶん」

 

「三日も一緒にいたのに?」

 

「遺跡を見に来たんだから、遺跡を撮るでしょう」

 

「普通、一緒に旅行した人も撮るでしょう」

 

「そう?」

 

「そうですよ」

 

「じゃあ撮る?」

 

スマホを向けた。

 

「今?」

 

「欲しかったんでしょう?」

 

「そういうことじゃないです」

 

「面倒くさい男ねえ」

 

「……もういいです」

 

 

空港が近づいてきた。

 

「響子さん」

 

「ん?」

 

「楽しかった?」

 

「楽しかったわよ」

 

「韓国が?」

 

「うん」

 

「……それだけ?」

 

横を見る。

 

ゆちょんさんは前を向いている。

 

「何よ」

 

「別に」

 

「面倒くさい男ねえ」

 

「今日二回目です」

 

「だって面倒くさいんだもの」

 

ゆちょんさんが笑った。

 

私も笑った。

 

それから、少しだけ静かになった。

 

 

空港に着いた。

 

車を降りる前に、ゆちょんさんが帽子をかぶった。

 

マスクもつける。

 

さっきまで一輪車の動画の話をしていた男の顔が、半分隠れた。

 

「あら」

 

「何ですか?」

 

「別人みたい」

 

「空港ですから」

 

「そうね」

 

忘れていたわけではない。

 

この人は、芸能人なのだ。

 

私が知っているのは、遺跡を歩いて、分からないことを一緒に検索して、車を運転して、一輪車をひっくり返した男。

 

でも、ここから先には、私の知らないゆちょんさんがいる。

 

「荷物、持ちます」

 

「大丈夫よ」

 

「持ちます」

 

「はいはい」

 

結局、キャリーケースを取られた。

 

空港の中へ入る。

 

チェックインを済ませる。

 

あとは保安検査場へ向かうだけになった。

 

「ここでいいわよ」

 

「もう?」

 

「もうって。飛行機に乗るんだから」

 

「そうですけど」

 

「三日間、ありがとう。楽しかったわ」

 

「僕も楽しかったです」

 

「勉強になったでしょう?」

 

「なりました」

 

「優秀な学生だったわよ」

 

「先生がよかったですから」

 

「あら」

 

「でも、もう学生じゃないです」

 

「卒業したの?」

 

「三日も勉強しましたから」

 

「短期講習ね」

 

「じゃあ、同級生に戻ります」

 

「勝手ねえ」

 

二人で笑った。

 

少し間が空いた。

 

「日本に着いたら連絡してください」

 

「なんで?」

 

「ちゃんと着いたか心配でしょう」

 

「母親みたいなこと言うのね」

 

「響子さんが言います?」

 

「どういう意味よ」

 

「別に」

 

まただ。

 

「じゃあ、行くね」

 

「はい」

 

キャリーケースの持ち手を握る。

 

「響子さん」

 

振り返った。

 

「ん?」

 

「……また」

 

ほんの少し考えて、

 

「うん。またね」

 

手を振った。

 

いつ会うとも。

 

どこで会うとも。

 

何も決めなかった。

 

それでいい。

 

保安検査場へ向かって歩き出した。

 

少し歩いて、振り返る。

 

まだそこにいた。

 

帽子とマスクで顔はよく見えない。

 

でも、手を振っている。

 

私も手を振った。

 

また歩く。

 

人の流れに入る。

 

もう一度、振り返ろうかと思った。

 

やめた。

 

振り返ったら、たぶんまだそこにいる。

 

だから、もう振り返らなかった。