優緋の部屋

日々の出来事、想うこと、信心について、二次小説、短歌などあれこれ

神社を破壊したガンビア人へ/a Gambian who broke the Shinto shrine


神社を破壊したガンビア人へ/a Gambian who broke the Shinto shrine - YouTube

 

私は仏教徒で、仏法を信仰していますから

神社では拝みません。

仏法では、“神”は“諸天善神”といって、

拝む対象ではなく、法華経の行者(信者ではなく行者。教えを広める人。)を護るものと考えます。

 

ごくざっくりと言えば、“自然”のことです。

太陽、月etc

 

仏法では、尊極の存在を自分の外(=神)に求めず、自己の中にある(=仏界)と考えます。

ですから、ひとりひとりの凡夫が尊極の存在ですから、自分を大切にすることはもちろん、他の人も同じように大切にします。

 

また、視点は少し違いますが、仏法には

随方毘尼という教えがあり、
仏法の根本の法理に違わないかぎり、

各国・各地域の風俗や習慣、

時代ごとの風習を尊重し、随うべきである

というものです。

 

仏法では、正法という根本基準を立てた上で、成仏・不成仏という仏法の根本原理に関する事柄でなければ、世間一般の風俗・規範を尊重し用いていくということです。

 

ですから、地域でのお祭りに参加したり、

御輿を担ぐ、クリスマスツリーを飾るなんてこともするわけです。

 

それらは、宗教的な意義よりも、すでに文化として根付いているもので、信仰の根幹ではないからです。

 

長い歴史の中で色々な人々を受け入れてきた日本ですが、多くの人は自分たちの信仰や文化を護りつつも、日本に溶け込んで共存してきました。

 

いつかは、争いも国境もなくなり

“地球がひとつ”になるのが理想ですが、

まだその道は遠そうです。

 

安住の地を求めて日本に来た人を追い出すのは不本意ですが、自分たちのやり方だけを押し通し、他の人のすることを否定して邪魔する人には来て欲しくないです。

 

他の人が信じているもの、大切にしているものを壊すなんて言語道断です。

“命”は一番大切なものなのに、それを売り買いする(奴隷貿易)とか、神を信じない者は殺しても良いなんて、そんなものは宗教とは思いません。

 

宗教は、人が幸せになるための哲学です。