養老令(天平宝字元年 757年)によれば、
皇親としての王は
天皇の孫(二世孫王)
曽孫(三世王)
玄孫(四世王)まで
五世王は「王」と称することが許されたが、皇親としての王に当たらないとされた。
また、後には5世以降は姓を賜り臣下
(賜姓降下)した。(五世の原則)
皇族を増やしすぎないためだ。
皇子を多く産んだ天皇の場合は、
皇子でも賜姓降下する場合があった。
皇族の人数確保のため、旧皇族11宮家を復帰させるという考え方がある。
しかし、静岡福祉大学名誉教授小田部雄次先生によれば、旧皇室典範制定により永世皇族制が採用され、世襲親王家の制度は廃止され、世襲親王家についても、その他の宮家と同様、男子に恵まれない場合は断絶することとされ、宮家は長男だけが継承でき、長男に男の子が生まれなければ絶家となる。
安永8年(1780年)
閑院宮家2代典仁親王の第二皇子・兼仁親王が光格天皇として皇位継承し、その血統が今上陛下まで続いている。
現在続いている旧宮家と呼ばれる家は、
皇籍離脱後次男、三男の方が継いでおり、
宮家は長男のみが継ぐ(次男以下は華族となった)という点においても、五世以下は臣下とした“五世の原則”においても、皇籍復帰に該当する人(家)はいないと思われる。
(既に五世、六世の代になっている)
憲法における「皇位の世襲」規定(第2条)は例外的な規定であり、「世襲」は特定の血統=門地(家柄、家格)だけに限定した継承を意味する。
歴史的な原則(五世の原則、宮家継承は長男に限る)を超えて“男系男子”の幅を広げることは、まさに門地による差別そのものに当たるのではないだろうか。