「法華経の行者」と、
三類の強敵なかんずく
「僭聖増上慢」は
鮮やかなコントラストを
示している。
そのポイントは、
「人間への尊敬」と
「人間への軽蔑」です。
その違いが、そのまま
「人間のための宗教」と
「権威のための宗教」の
違いになる。
また、
「権力の魔性と戦う宗教」と
「権力の魔性と結託する宗教」の
違いになる。
そして
「迫害を受ける、本物の宗教者と、
「人を迫害する、偽物の宗教者」
との違いになる。
「人間への尊敬」の究極は、
「万人が仏である」と
礼拝する法華経の信念です。
「人間への軽蔑」の究極は、
人間をモノとして利用する
権威・権力の魔性です。
その根底には
「元品の無明」がある。
法華経を行じるとは、
生命的に言えば、
「元品の無明」との
対決を意味する。
社会的に言えば、
権威・権力の魔性との対決
を意味する。
ゆえに大難は
必然なのです。
大難を受けないのは、
本当の
「法華経の行者」
ではないのです。