旭陽の部屋

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池田先生は教祖じゃないですよ


【池田大作死去】教祖が死去した三大新興宗教の現状&今後ついて元幹部と教祖の息子に聞いてみた【幸福の科学×創価学会×オウム真理教】(宏洋×安藤よしひで×上祐史浩) - YouTube

 

私は、創価学会に入会する以前、高校生の時

からエホバの証人の人と2年くらい聖書研究という名の勉強会を信者の方と二人でやってました。

 

父親を含めて身近な人が亡くなるのを見て、

また、歴史が好きなので、歴史小説等を読んだりして、なぜ戦で殺されたり、生まれつき病気があって苦しんだり早死にする人と、

何事もなく幸せに長生きする人、この違いは何?という疑問から宗教を求めました。

 

聖書研究をしたのは、三浦綾子さんの小説やエッセイを読んでクリスチャンに憧れがあったのと、仏教は日本では葬式仏教になっていて、真面目に信心を学べるところがないと思っていたからです。

創価学会が仏教とは知らなかったので。

 

2年も聖書研究をしたのに洗礼(エホバではバプテスマといってましたね。)を受けなかったのは、教えに納得がいかなかったからです。

 

その後、旦那と知り合って、創価学会の人と分かり、最初は戸惑いました。世間の噂しか知らず、直接学会の人と接触したことがほとんど無かったので。

 

創価学会は仏教の信者の団体であることを教えられ、これまで抱えていた疑問を旦那にぶつけました。分かる範囲で教えてくれ、

創価学会入門』という本を貸してくれ、

後『人間革命』を読むように勧められました。

2巻からは持っているので貸してくれると。

1巻だけは自分で買って、と言われて。

 

本を読み、旦那の部屋に行って(合鍵を渡されてました)勤行・唱題を実践。

納得できたので、結婚前に入会しました。

親戚中反対でしたけどね。

 

近頃、宗教2世の被害者が話題になりますが、被害者?と言うのがよく分かりません。

 

私も子どもが小さい時は会合に連れて歩き、

皆一応入会してます。

でも、後継者の育成が難しいのは信心の世界も同じで、親がやってるからといって言うことなと聞きやしません。

 

旦那も私を折伏しておきながら、結婚したら仕事が忙しいことを言い訳にほとんど会合にも出ず、勤行もせず。

真面目にやっているのは、家族の中で私ひとりの時期が長く続きました。

 

でも、活動に反対するとか邪魔するわけではなかったので、それでいいというか仕方ないと思ってました。

 

“一家和楽の信心”というのが、目標のひとつではあるのですが、それを真面目に祈るようになったのは、この数年です。

 

私が病気になって、ひとりで動くのが難しくなった頃から旦那が誘われなくても会合に出るようになりました。

 

子どもといっても別人格なので、自分の体験から信心根本の生活をするように話しをする事はありますが、基本は祈るしかないです。

無理強いなんて、仕様がないです。

 

発心(信仰に目覚める)する時はそれぞれですし、必ずやる時が来ると、諦めずに祈るしかないのです。

私がしっかり祈れるひとになるように、

子どもや旦那が私を悩ませている、そういう受け止め方もします。

 

ですから、きっと私が心から

「題目を上げさせてくれてありがとう」と

子どもや旦那に感謝出来るようになった時、“一家和楽の信心”

になるのでしょう。

 

信心しているといっても、その中身というか程度(?)はそれぞれです。

 

大きな悩みや問題を抱えていて、それを解決したくて信心した人は入会したてでも急速に成長し信心が深まる人もいます。

 

私はどちらかというと頭(教義)から入ったので、本当に腑に落ちるというか実感するまでに相当時間がかかりました。

 

もうすぐ信心して40年ですが、本当に分かってきたのは最近です。

それでも、しょっちゅう凹んでは励まされてまた立ち上がりの連続です。

 

私は、池田先生に直接お会いしたことはありません。

仏法では師弟が大事といわれますが、

中々その意味が分かりませんでした。

 

池田先生は師匠なので、教祖ではありません。拝む対象ではないので。

 

池田先生が亡くなって寂しい、悲しいと感じる方もいるのでしょう。

でも、私は、今までと変わりません。

今までも、書籍や新聞や動画を通して指導を学び、活動してきました。

 

これからも、日蓮大聖人様の御書と池田先生の『人間革命』を始めとする書籍を学びながら自他共の幸福を求めて信心していきます。

 

池田先生が亡くなったから、変わる(信心が緩む?)人は、元々分かってなかったか、信心してるふりをしていただけなのでしょう。

私は、そう思います。

 

むしろ、今までは先生の祈りに守られてきたのが無くなったので、よりひとりひとりの信心が試される、しっかりしなくてはいけないのです。

自分の問題・悩みなどは自分の信心で解決していかなくてはならないからです。

もちろん、同志の励まし合いはありますが。

 


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